がん予防の展望

1.がん化学予防の展望

1)化学予防の有効性を見極めるには
がんを予防する手段としては、禁煙や食事改善など生活習慣改善によるものに加えて、ビタミン剤や薬剤等を積極的に服用することによる化学予防(Chemoprevention)が考えられます。化学予防の対象としては、がんになる確率の高いハイリスク・グループ、例えば、喫煙者や大腸ポリープなどの前がん病変のある人などとなります。とはいえ、喫煙と肺がんのように関連が確実とされているものでない限りは、その予防法を医療や公衆衛生施策として一般に広める前に、その予防法によりがんの罹患率(りかんりつ)が低下するという有効性や用量の検討、副作用・有害事象についての検証が必要です。特に有効性に関しては、無作為化比較試験による質の高いエビデンスが必須です。

国際がん研究機関(IARC)が、これまでにがん予防効果の有無を評価してきた化学物質を表1に示します。動物実験で効果が確認されたものでも、ヒトでの効果が確実とされたものはなく、β-カロテンの高用量サプリメントのように、“効果なし”とされているものもあります。

2)βーカロテンによる化学予防の試み
1980年代に入って開始された、βーカロテンによるがんの化学予防の効果を検証する無作為化比較試験については、これまでに少なくとも4つの結果が示されています。いずれも2~3万人を対象とし、5~10年に及ぶ研究が行われました(表2) 。まず中国で行われた試験で、β-カロテン、セレニウム、ビタミンE投与群で、胃がんリスクが21%低くなりました。しかし、それ以外は期待していた結果が得られず、逆に高用量のβ-カロテン(20~30mg)を投与した喫煙者で、肺がんリスクが20~30%高くなることが明らかになりました。

また、非喫煙者が中心のアメリカ人医師の研究の場合は、10年以上β-カロテンを服用し続けても、がん罹患に関して何の利益もなく、害もなかったという成績が得られています。

3)化学予防薬の適量は個人ごとに異なる
これらの異なる結果を理解するためのデータとして、投与前後のβ-カロテンの血中濃度の推移がひとつの参考になります。

臨床試験以前の観察型の疫学研究では、β-カロテンの血中濃度が2~10μg/dl程度の低い人たちに比べて、20~50μg/dlであった高い人たちのがんのリスクが低いことが示されていました。中国の臨床試験では、対象者の血中濃度はもともと低いレベルでしたが、β-カロテンの補給を受けたことにより、高いレベルを少し超えた血中濃度に到達し、がん予防効果が表れたとも考えられます。それに比べてアメリカやフィンランドの研究では、対象者の血中濃度はもともと高いレベルにあったのが、補給により、日常の食事からは到達できないような不自然に高い血中濃度になり、喫煙者で肺がんが促進されるという予期せぬ結果をもたらした可能性が考えられます。

アメリカ人医師の研究について、参加者をさらにもともとのβ-カロテンの血中濃度ごとにグループ分けして、解析が行われました。その結果、これまでの観察型疫学研究と同様に、もともとの血中濃度が低い人ほどがんのリスクが高くなることが確認されています。しかしながら、β-カロテンを補給することによる効果については、もともと血中濃度が低いグループではリスクを下げる効果が認められた一方、もともと高いグループではリスクをあげる方向となっていました。その傾向は、特に前立腺がんで顕著であったことが示されています 。

がん予防に有効な成分があったとしても、その用量と効果の間には「多ければ多いほど効果的」、「一定量に達するまでは効果があがり、それ以上は変わらない」、「一定量を超えると効果が上がる」、「一定量に達するまでは効果があがり、それを超えると逆に下がる(リスクがあがる)」等の場合が想定されます。薬剤や食品成分の補給によるがん予防を考える場合には、そのうちどのパターンに当てはまるのかを見極め、一人一人で異なる適量を考える必要があるようです。

4)タモキシフェンによる化学予防
無作為化比較試験の結果、予防効果が示された化学予防薬として、乳がんの内分泌療法に使われるタモキシフェンという薬があります。アメリカで初潮や初産の年齢が遅かったり、姉妹や直系親族に乳がん患者がいたり、非浸潤性小葉(ひしんじゅんせいしょうよう)がんという局所的ながんの病歴があったりするために、乳がんのハイリスク・グループとされる女性約1万4千人を対象に、タモキシフェンかプラセボ(偽薬)のどちらかを投与する2グループの間で、その後の乳がんリスクが比較されました。

5年の追跡の結果、乳がんになった人はプラセボ・グループで175人に対し、タモキシフェン・グループでは89人と、リスクが半分に低くなったことが示されました。その一方で、子宮体がんについてはプラセボ・グループで15人に対し、タモキシフェン・グループで36人と、リスクが2.5倍高くなっていました。

タモキシフェンは、選択的エストロゲン受容体調節薬(SERM)で、臓器によって作用の方向が変わります。乳腺細胞ではエストロゲンの作用を阻害して乳がんを抑えますが、その一方で子宮腺細胞ではエストロゲンと同様に作用し、子宮体がんリスクを上昇させてしまったと考えられます。

タモキシフェンは、現時点で化学予防効果が認められている数少ない薬剤の1つです。しかしタモキシフェンによる化学予防については、乳がん予防効果による利益が、子宮体がんなど他のリスクが多少高くなっていることを差し引いても十分納得できるものであるかどうか、リスクとベネフィットとのバランスを考えながら、実際の応用を判断しなくてはなりません。ここで紹介したデータは、乳がんの罹患率が日本人よりもずっと高いアメリカ人の中でも、さらにハイリスクの人達を対象として得られたデータです。日本人におけるタモキシフェン、あるいは同種の薬剤による乳がん予防効果や他の健康影響との関係は、日本人を対象とした無作為化比較試験の結果が得られない限り、正しくは判断できません。

5)がん化学予防の展望
がん予防に有効であることが期待される化学物質が同定された場合は、観察型の疫学研究からのエビデンスに基づく、人における効果の可能性の検証、そして適量と対象者を踏まえたうえでの無作為化比較試験によるがん予防効果の証明を経て、はじめて実践として応用に移すことが理想的と思われます。現時点では、日本人への応用を考えた場合に、十分な科学的根拠を備えているものはありません。化学予防の候補物質の洗い出しと、有力候補については臨床試験の結果を踏まえ、応用まで導くためのシステムづくりが目下の課題となっています。

表1 化学予防候補物質に関する国際がん研究機関(IARC)によるがん予防効果の評価$

表2 β-カロテン補給前後における血清濃度の推移とがん予防効果$

 

2.ゲノム・遺伝子情報に基づく、がん予防の可能性

1)がんリスクの個人差
喫煙者の非喫煙者に対する肺がん罹患リスクは、日本人で5倍程度である一方、欧米人では10倍以上であり、明らかな人種差が認められます。この原因については、環境因子側のたばこの種類や喫煙状況等の差異に起因する可能性もありますが、たばこによる発がんリスクを修飾する遺伝的な差異や、他の環境因子(栄養状態や他の発がん物質の暴露(ばくろ)状況等)の差異に基づくことが考えられます。

また、同じ日本人でも、40歳の男性が75歳になるまでにがんになる確率を試算すると、喫煙者では何らかのがんになる確率が30%、肺がんになる確率が5%程度となります。つまり、たばこを吸っていても95%の人は75歳までには肺がんにはならないのです(ただし、何らかのがんになる確率は30%で、非喫煙者の20%と比べて10%程度多くなります)。そこで、肺がんになるか否かは偶然に決まるのか、それとも何らかの要因により系統的に強められたり弱められたりするのかが注目されます。

2)栄養状態や、体質を決める遺伝子の関与
“たばこ”と“がん”との間には、たばこによる発がんリスクを強めたり弱めたりする、いくつものポイントが存在すると予想されます。それぞれのポイントで、栄養状態や遺伝的な体質が重要な役割を果たすと考えられています。

たばこ煙中にはベンツピレンなどの多環芳香族炭水化物(たかんほうこうぞくたんすいかぶつ)、芳香族アミン、ニトロソ化合物等、約60種類の発がん物質が存在します。そうした発がん物質の多くは体内で活性型に変化したのち、細胞内のDNAと共有結合をして、DNA付加体を形成することが知られています。このDNA付加体などによって、遺伝子の変異ががん遺伝子やがん抑制遺伝子、DNA修復遺伝子等に何度も起こることで、がんという病気が発生すると考えられています。

発がん物質が体内で活性化したり、逆に解毒、排出されたりという代謝(たいしゃ)には、さまざまな酵素がかかわっています。また、がん細胞を異物と認識して排除するのに、免疫がかかわっていることも知られています。酵素や免疫の働きが強かったり弱かったりするのには、一人一人に固有の栄養状態や遺伝的な体質が関連していることが知られています。

3)体質を決める遺伝子の例
たばこ煙中の発がん物質の1つ多環芳香族炭水化物は、チトクロームP450(CYP450)に属する酵素によって活性化され、グルタチオン S-トランスフェラーゼ(GST)に属する酵素により解毒されます。それぞれの酵素をつくる遺伝子には、いくつかのタイプ(多型)があることが知られていて、タイプによって活性の強さや解毒の能力が異なります。例えば、CYP1A1の酵素の活性が高くなるタイプの人やGSTM1の活性がないタイプの人は、そうでない人に比べ、少量の喫煙でも肺がんリスクが高くなるという報告があります。

4)食事によるがん抑制効果を、体質を決める遺伝子別に喫煙状況によって検証
また、キャベツやブロッコリーなどのアブラナ科野菜に多く含まれるイソチオシアネートという化学物質には、CYP450の活性を抑え、GSTの活性を強めるという、たばこによる発がんを抑制する方向の作用が知られています。複数の疫学研究で、その摂取量が多い人で肺がんや大腸がん等の予防効果が報告されています。

たばこによる発がん物質を解毒するGSTはイソチオシアネートの排出も担当していますので、GSTが遺伝的に不活性のタイプでは、イソチオシアネートの排出に時間がかかります。

そこで、GSTの遺伝子タイプ別、喫煙状況別に、イソチオシアネートの摂取量による肺がんリスクを比べるという症例対照研究がいくつか実施されています。これまでで最も大規模な研究(2005年)では、GSTM1不活性タイプの喫煙者グループで、イソチオシアネートの摂取量が高いほど肺がんリスクが低くなったという報告があり、イソチオシアネート摂取による肺がん予防効果が、遺伝的な体質によって変わる可能性が示されています。とはいえ、喫煙者がいくらアブラナ科野菜をたくさん食べたとしても、禁煙による効果に遠く及ばないことは間違いありません。

5)飲酒によるがんリスクにかかわる喫煙と、体質を決める遺伝子
ほかにも飲酒によるがん全体のリスクは、非喫煙者では高くなりませんが、喫煙者では量が増えるにつれて高くなることが観察されています。これは、アルコールを代謝するために誘導された酵素が、たばこ煙中の発がん物質を活性化し、相乗的なリスクの増加をもたらしたのではないかと考えられます。さらに、アルコール代謝にかかわる酵素の遺伝子多型が知られていますが、そのタイプも喫煙と飲酒によるがんリスクに、何らかの影響を及ぼしている可能性が考えられます。

6)テーラー・メードの予防法の開発
このように、実際に喫煙による発がんリスクが、体質を決める遺伝子タイプや栄養状態によって強められたり弱められたりすることがわかってきました。飲酒による発がんリスクが喫煙者と非喫煙者で異なり、さらに飲酒習慣は遺伝子タイプで決まる部分があります。そういうことから、環境因子による発がんにもいくらか個人差があるのかもしれないと考えられます。今後さらに研究が進めば一人一人の発がんリスクを、ゲノム情報などを用いて評価し、そのリスクを低減させる生活習慣指導や栄養処方などを行うという、いわゆるテーラー・メードの予防法が現実味を帯びてくるでしょう。その科学的根拠の集積には、まずゲノム情報を用いた疫学研究を遂行できるような社会環境を整える必要があり、目下の課題となっています。

 

3.参考文献

1.IARC, IARC Handbooks of Cancer Prevention Volume 2 “Carotenoids”, IARC Press , Lyon (1998)
2.Cook NR, et al. β-carotene supplementation for patients with low baseline levels and decreased risks of total and prostate carcinoma. Cancer 1999;86:1783-1792.
3.Fisher B, et al. Tamoxifen for prevention of breast cancer: report of the National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project P-1 Study. J Natl Cancer Inst 1998;90:1371-88.

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